HOME > 事務所概要・代表プロフィール
経済・物質が豊かで便利なものに溢れているこの日本が、何故諸外国に比べて幸福度があまりにも低いのか? と不思議に思うことがあります。私の子を見て思ったのですが、子供は大好きな母親といるだけでとても幸せそうに笑っているのです。大人になると笑顔になる回数が子供と比べて格段に減るらしいです。それが大人になることなのか?
成長とともに家族以外の人と触れ、情報を吸収し、他人と比べてしまい、自分の本当にしたい事、楽しい事が見えなくなってしまうのかもしれません。ある方が公演で仰っていたのですが、小学校低学年の子供が将来の夢について聞かれると、みんなが手を挙げ、思い思いの自分の夢について楽しそうに話をしだすそうです。
ただ、小学校高学年、中学、高校、大学と年齢を重ねる毎に手を挙げなくなり、将来の夢を語らなくなるそうです。それは他人を気にして自分を押し殺してしまったり、他人と比べてしまい、自分の夢が小さなものに感じ、他人には言えないなどと感じてしまうからではないでしょうか。自分の夢ややりたい事に大きいも小さいもなく、他人と比べる必要もないと思います。
私はクライアントに「やりたい事は? 将来何をしたいですか?」とよく聞く事があります。やりたい事を考えているだけで楽しくなりませんか。生活していくためには働いてお金を稼がなければならないと皆さん当然の義務感のように考えていると思います。
人生の時間の大部分をこの「働く」という義務感に縛られているように思えますが、その人生の大部分を占める「働く」という行為が楽しいものであればとても人生が楽しく、幸福な人生を送っていると充実感を感じられると思います。クライアントにもそんな心豊かな人生を送って欲しいとの願いから自然とやりたいことを見つけて頂こうと話をするのだと思います。
そんな行動を長年続けてきまして、私は今まで何を提供してきたのか、今後何を提供していくのかを考えたときに思いついた言葉が「幸せな生活の探求」でした。税理士という立場から「幸せな生活の探求」ができたらと考えております。それが私のやりたいことです。
やりたい事=稼ぐ事にはなかなかなりにくいとは思いますが、やりたい事=仕事(若しくはライフスタイル)にはなれると思います。仕事と稼ぐことをイコールにせずに別物と捉えて考えられれば、気が楽になりませんか。そんな生活スタイルが提案できれば良いなと考えております。
事業を行うことは、そんな生活スタイルを手に入れやすい稼ぎ方だと思います。特にフランチャイズビジネスは仕組みが出来上がっているので、初心者でも入りやすく、リスクの低いビジネスだと思われます。そこを出発点とし、稼ぐ方法を学び、本来やりたい事に注力できれば、本当の意味での「ライフワークバランス」を手にすることができるのではないでしょうか。私はそれを望む方々のお手伝いをしていきたいと思っております。
1973年8月31日
宮城県仙台市に3人兄弟の末っ子として産れる。両親は共働きで忙しく、家族全員で食卓を囲むことがほとんどありませんでした。特に母親は看護師で、昼夜・お盆正月関係なく仕事をしていたため、とても寂しい思いをしたのを覚えております。その反動からかとても甘えん坊で、一度言い出したら聞かないわがままな子でした。
小学校、中学校と地元の学校に通い、特定のスポーツをやっていたわけではありませんが、体を動かすのが好きでケガも絶えませんでした。幼少のころから背も高く体格も良かったので、そこそこスポーツはこなしておりましたが、秀でるほどの運動神経を持っていなかったのと持久力が他の誰よりも劣るので、マラソン大会などは常に最後列のグループでした。
性格は人見知りで人前に出ると顔が赤くなり、常に目立たないようにすることを意識しておりました。今でも大勢の人の前で話をするのは苦手で注目が集まると声が上ずったり、 話す内容が飛んでしまい、話の内容がよくわからなくなってしまうことが多々あります。そんな目立たない生活を送っていたため、人から頼られるとか、役に推薦されるようなことはありませんでした。
ただ、一度だけ友人から頼られることがありました。それがとても嬉しかったのを覚えております。こんな俺でも人に頼られ、役に立つのだと思いましたし、何とも言えない優越感を感じました。この体験が「人から頼られたい、人の役に立ちたい」という今の職業の原動力になったのかと思います。その出来事が今の私の原点です。
1989年4月1日
昭和が終わり平成となる年に東北高校に入学しました。東北高校はスポーツで全国的にも有名な高校ですが、地元では頭の悪い、素行の悪い子が入る学校です。私は素行が悪かったわけではありませんが、勉強が嫌いで入れる高校がそこしかなかったから入学しました。東北高校は男子校で、それがとても嫌で1年間は学校がつまらなく、もっと勉強しておけば良かったとずっと後悔ばかりしていました。それがバカなりの原動力となり、この高校生活を学生生活の最後とすることはできないと思い、大学生活を夢見て受験勉強を頑張り、1年浪人はしましたが愛知大学に入学することができました。
よくなぜ仙台から愛知に来たのと聞かれますが、深い意味はありません。生まれ育った地元を離れ、未開の土地で一人で一からコミュニティを作ってみたかったという好奇心から仙台を離れました。愛知県に決めたのは日本の中心で、暖かそうで、入学できそうな大学があったからです。
大学ではラクロスというスポーツに没頭しておりました。寝ても覚めてもラクロスの事ばかりを考え、クロスという道具を暇さえあれば握っておりました。その当時ラクロスというスポーツはマイナーなスポーツで愛知大学でも人数が足りなく、正式な部活動ではありませんでした。
そのため練習するグラウンドの利用権や部の活動費もありませんでした。最初はそんなクラブではありましたが新入生として一緒に入部したメンバーがとても良く、熱い連中が集まりました。よく講義をさぼっては部室に集まり強いチームを作るためにはどうしたらいいかを語り合っていました。
そしてその努力が実を結び、東海リーグで2年目にして優勝することができ、その後3連覇を果たし、東海地区では最強でした。この経験は私には他では得難い大切な体験でした。0からのスタートで仲間といかにチームを作り上げていくかの組織作りから、チームを強くするための練習メニュー作りなどを仲間同士で意見交換をし、知恵を絞りあうという経験が今の仕事にとても役立っているように思います。
1997年4月1日
大学を卒業し社会人となりました。就職活動の際、経済にとても興味があったのもありますが、私の原点とお話した「人の役に立ちたい・頼られる存在となりたい」を考えたときに具現化できると考えた職業がコンサルタントという職業です。企業を指導し業績の良い会社を育てたいと思っておりました。
ただ就職をする年が就職氷河期と呼ばれる時代で、なかなか自分の思った就職ができず、最初は建設関係に就職しました。ただ、自分の居場所を見つけられず、半年で退職し、次に就職したのは食品のギフトなどを酒販店に卸していた会社でした。そこで営業の職についてはいましたが、そこでも自分のやりたい事ではないなあと思っておりました。ただ、次々と会社を変わってしまっては、そのうち就職すらできなくなると思い、次のやりたいことが見つかるまではここで頑張ろうと思い5年ほどその会社で勤めておりました。
30歳を目前にして私は何者なのか、何ができるのか、というのがはっきりと言えるためには資格が必要だと考え、資格取得の本を眺めていた時に新卒の就職活動の時に思っていたコンサルのような企業の役に立てる職業はないかと探していたところ税理士という職業を見つけました。その当時家族がおり、頑張れば働きながらでも取得が可能であるため、目指してみることにしました。税理士になるには経験も必要なため、どうせ目指すのであれば税理士事務所に転職しようと考え、前職のファースト税理士法人(当時は丹羽徳光税理士事務所)に転職することにしました。
2002年10月16日
事務所に勤めた当初は人の入れ替わりも激しく、毎月誰かが辞めていく状況でした。そのため仕事の量も月日が経つたびにどんどん増えていき、3人の外勤担当者の補助につき、 処理業務をすべて見ておりました。ただ外勤担当者も次々と辞めていくため、当初は1年ぐらいで徐々にクライアントを引き継ぐ計画が半年ほどでいきなり辞めた外勤担当者のクライアントの全てを担当することになりました。
当事務所は一担当者とクライアントとの関係が深く、どんな些細な相談も親身になって聞いておりました。税務に関することはもちろんですが、前述したように「人の役に立ちたい・頼られる存在となりたい」という思いから、税務以外に会社運営や従業員の事、さらには家族の悩み事さえ相談にのっておりました。このように何でも相談にのっておりましたので、クライアントとの信頼関係は深いものでした。クライアントが望まれたり、私自 身がクライアントにとって必要だと思うことを提供し、15年間続けてきたため、様々な業務に関わる知識を習得してきたと思います。
2015年11月17日
そんな忙しい毎日の中、税理士試験の勉強していたこともあり、勉強を始めてから資格取得するまでに11年の年月がかかり、ようやくこの年に税理士資格を取得することができました。長年目指してきた目標が税理士になることだったのですが、いざ取得してみると肩書が手に入っただけで、税理士として自分は何ができるのかという壁にぶち当たりました。
税理士資格取得者はいくらでもおりますし、自分にできることを見つけないと差別化が図れず、クライアントや見込客に何ができるかをアピールすることもできませんでした。そんなことを疑問に思いながら2年ほど税理士の仕事をし、研修や交流会に参加しながら何かを探しておりました。
2018年4月21日
資格取得から約2年の間に様々な人と出会い、様々な学びや気づきを頂き、自分を見つめ直し、自分がクライアントやこれから起業される方に何を提供できるのかを考えておりました。その中で私の今までの経験が皆様のお役に立てることに気づき、過去の経験を洗い出し、自分が提供できるサービス、自分が本当にやりたいことをどう提案し、提供できるかと考えたときに今のこの事務所では方向性も違うため満足のいく形で提供できないと考え、所長からの勧めもあり、独立することを決めました。
事務所名 | 根津税理士事務所 |
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住所 | 〒460-0002 名古屋市中区丸の内2丁目18-5サンマルノウチビル703号 |
電話番号・FAX | TEL 052-228-6437・FAX 052-228-6438 |
代表者 | 根津大介 |
業務内容 | FC経営アドバイス 創業支援 融資支援 法人決算及び法人税・消費税の確定申告 給料計算及び年末調整 記帳代行 所得税・消費税の確定申告 相続税・贈与税申告 事業承継支援 |
主要実績 | 大手コンビニ加盟店 40店舗顧問 |
業種 | コンビニエンスストアの経営、司法書士事務所、自転車部品卸、介護施設、接骨院、鮮魚・乾物卸、飲食店、研磨業、金属加工業、建設業、調剤薬局、NPO法人、新聞販売店、酒類販売・卸、歯科医、投資コンサルタント、不動産賃貸業、業務請負業、自動車販売業、生命保険外交員など |
●名古屋市営鶴舞線 / 丸の内駅 徒歩2分
地下鉄鶴舞線の丸の内駅2番出口を出て、正面のファミリーマートを左に曲がって120メートルほど歩いた右手のビルが事務所です。
●名古屋市営桜通線 / 丸の内駅 徒歩2分
地下鉄桜通線の丸の内駅3番出口を出て久屋大通方面に歩き、最初の角(コインパーキング)を左折し、最初の角を右折して、30メートルほど歩いた右手のビルが事務所です。
東山線でお越しの方は、伏見駅が最寄り駅となります。伏見駅1番出口より徒歩11分。
お車でお越しの方は、近くのコインパーキングをご利用ください。
・ユニホーパーキング(200円/25分)サン・マルノウチビル斜め向かいにございます。
・清和駐車場(200円/30分) ホテル1-2-3名古屋丸の内の北側にございます。
・JTP丸の内No.2(200円/40分)セブンイレブン丸の内2丁目店の斜め向かいにございます。
・鈴木不動産コインパーキング丸の内第13(200円/30分)